No.002b

開発ストーリー

70年代のスタートはポルシェにとってあまりいいものではなかった。 ポルシェ家・ピエヒ家が会社の運営から少しづつ引きはじめるのを見ることとなった;社長としてのフェリーポルシェはその地位をエルンストフューアマン博士にとって代わられ、 ヘルムートボットが全てのエンジニアリング開発を担当するようになり、ヘルムートフレーグル氏が調査部門の役員となった。  ブッツイ ポルシェ氏を継いでスタイリングスタジオを任せられたのは、元GMのスタイリストでラトビア生まれのアメリカ人アナトーレ ラピーヌ氏であった。 そのときポルシェがかかりきりになっていたのはVWのためのEA266プロジェクトと、そのEA266をベースとした幾つかのスポーツカーを出すことであった。 EA266プロジェクトがキャンセルされた時、ポルシェの長期計画に対する悪影響ははかりしれなかった。 もともとのポルシェ社の意図は70年代の半ばまでに911を引退させ、EA266計画ベースの車を導入しつつ、もともとの356に似た車へ回帰するというものだった。 その計画が頓挫したことで、仕方なくポルシェのデザイナー達は911を存続させる方向に向かい、911・930ターボが検討されていた。 そこでポルシェが検討しだしたアイデアは、全く新しい水冷V-8を積む大きなフロントエンジンのスポーツカーだった。社長のエルンストフューアマン博士は1971年の秋にこの最初の提案を承認していたが、 この2-3ヶ月あとにポルシェは後に924となるEA425のデザイニングをVWのためにスタートさせていたのであった。水冷V-8の方のプロジェクトにはプロジェクト番号として928が与えられ、 ウォルフガング イップがプロジェクトリーダーに任命された。924と928の車体はラピーヌの率いるスタイリングチームによって並行的にデザインされていった。 924はオランダ人のスタイリストハルム ラガーイ(Harm Lagaay)が担当し、ウォルフガング メビウスは928を担当した。 プロジェクト928はプロジェクトEA425(924)よりもわずかに早くスタートしたが、両車はほぼ同時に開発されていった。 従ってデザイン上似ている箇所が多いのは当然だったが、EA425は現存するVW-Audiの部品を使うように設計されていたため1975年の終わりには生産開始できることになった。 928のデビューはそこから更に18ヶ月後の1977年のジェノバモーターショーまで待たねばならなかった。意外と知られていない924と928の違いは、 924がAudi製ベースのギアボックスをリアアクセルの線の後ろに持つのに対し、928のギアボックスはリアアクセルの前に据えていた。 故に928は2メートル50センチと10センチ924よりも長いホィールベースを持つのにも関わらず928のリアシートはギアボックスに邪魔されてフル4シーターではなくあくまで2+2に留まった。 1975年に発表された直後は924はVWのシロッコ等と比べられて批判されたり、原因不明の故障に悩まされ、せいぜい924の路上での挙動が批評家に誉められる程度だった。しかし、 殆どのロードテストのレポートが結論としていたのは、ポルシェにこの車を引き続き発展させていって欲しいという願いだった。 924は基本的には素晴らしい車で、真のポルシェとなるにはあと少しの改良が必要なだけだった。このような批判にポルシェは素早く対応した。 まず最初に5速のギアボックスが1978年のモデルにオプションとして採用され、2年後に標準とされた。装備もすこしずつ改良され、平凡なVWのイメージを払拭していった。 1978年の終わりには924Turboが発表され、233kmの最高速度を誇った。これは当時の911SCや928をも上回る数値だった。 1979年には924カレラがフランクフルトモーターショーでデビューし、210馬力242kmの性能を搾り出していた。 1980年には245馬力のカレラGTをホモロゲーションの目的で生産し、1981年の924カレラGTS(245馬力250km)、カレラGTR(375馬力289km)とレースでも活躍の場を増やしていったのである。

「924デザインの父」Lapineの特集がありました。
Anatol Lapins

924とNSUとRX−7

924のアッセンブリー(開発も含む)はNeckarSUlm工場で引き受けられていたようです。 この綴りを見るとおわかりのように、短縮形が「NSU」、つまりあのロータリーの生まれ故郷でもあるということになります。
引用 カーマガ(209号、1995年11月)より
“924は、ポルシェがVWのために開発したスポーツカーだった。そのためVWとアウディの部品使用を当初から計画に盛り込んであった。 しかしこの計画はマーケット情勢の考慮などからVWが放棄、かわってポルシェ自体が自社製品として生産販売することになった。こうしてポルシェ初の前エンジン後輪駆動モデルが生まれた。 (中略)エンジンの基本設計はピストン・クラウンを凹めて燃焼室とするヘロン・ヘッドをはじめ、ほとんどアウディそのものといってよい。 製作の大部分もアウディのネッカースルム工場(旧NSU。一部組み立てはポルシェのツッフェンハウゼン工場が分担した)に依存した。”

マツダ前々会長・前最高顧問の山本健一氏の回想録(引用 ジェイズティーポ通算5号より)
「・・・当時アメリカでポピュラースポーツカーとして非常に売れとったのはポルシェ924だった。この924というのは、経営がおかしくなってアウディの傘下に入ったNSUに、ポルシェが生産を委託していた車なんです。 昔の我々のライセンサーですよ。ネッカーズフルムの工場で、レシプロエンジンを造ってる・・・今はロータリーを諦めて924を造っている。僕は924は非常に名車だったと思う。 ただね、重量分布を考慮してトランスアスクルを採用したり、エンジンを倒して重心を下げたりしていたから非常にコストが高かったんです・・・(中略)・・・RX−7はロータリーのメリットを活かしたスポーツカーだったと思う。 で、狙ったわけではないけれど924の売り上げが段々下がって来て1980年にと うとうアメリカから消えてなくなりましたよ。その時にNSUの名前も消えて、完全にアウディになったわけだから、僕は非常に宿命的なものを感じましたね。」

NSU
「・・・人によってはNSUの工場で作ると安いからポルシェはNSU を選んだという人がいるが、これは全くの間違いだ。NSUの工場は工場というより も優れた研究開発チームと生産設備の両方を持つ一種独立した会社と見たほうが いい。しかも、一人一人の工場労働者が実は研究開発もできたし、レースの用意 までできてしまう、という点でNSUは非常にポルシェの工場に似ていたのである。 NSUはその非常に優れたノウハウと累積技術を以って、不可能といわれたロータリー エンジンを動かした。 もちろんポルシェもかなり924の開発・生産をモニター・ コントロールしていたが、NSUの力なくして 924は開発・生産できなかったといっ てもいい。 NSUはすぐれた直噴技術を開発したし、現在はアルミボディの A8,A2 (ってあったかな?)と、いわゆるハイエンド商品である"S"のつくスポーツタイ プのアウディ、及びレース等で活躍するクアトロの開発・生産を行っている。」

RX−7(FC登場時)
RX−7のサイドビューは944のボディーに928のドアを取り付けたデザイン。 それほどよく似ている。

参考和訳文献不明。

2001年8月掲示板【4039】【4058】【4062】【4078】【4088】【4123】【4124】【4125】【4123】【4124】【4125】

ゴールドマンさん版L4ポルシェ物語

top